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杜の都の朝イチBlog

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2011/03/28(月) 米ケ袋の雉


米ケ袋の広瀬川の遊歩道を歩いていたら、去年と同じあたりで雉の鳴き声が聞こえました。

足早にその鳴き声がした場所を目指して行くと、すぐに雄の雉の姿をとらえることができました。相手もこちらの姿をとらえているはずなのに、用心するそぶりも見せず平然としています。しかし何とも雅な姿にしばし興奮。


2011/03/27(日) 東北大学法科大学院




日曜日の東北大学の構内は、いつも変わらない雰囲気の世界です。

賑やかな一番町のすぐ隣にもかかわらず、広告や車の騒音が途絶えて、静かさと大きな建築物の風格が落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

昨年できた法科大学院も今日は人影はなく、その建物の前の芝生の中に春の訪れを感じさせるオオイヌノフグリとタンポポが咲いていました。

2011/03/27(日) 鹿落ち観音






向山にあるシシオチカンノンに立ち寄りました。
小さなお堂と、尼僧が住む質素な住まいと、そして小さな庭は、穏やかな日和をうけて心安らぐ場所でした。

その下の広瀬川沿いは、正に春の風景。

白い花をいっぱいに付けた梅の木がかぐわしい香りを発散していました。

2011/03/27(日) 愛宕山






震災から2週間が過ぎました。
まだまだ震災の悲しみが心を厚い雲の様に覆っています。

愛宕神社の階段を上って行ったら、朱色の鳥居が見事に壊れていました、

しかし、少しの時間でもこのような静かな時間を過ごしていると、内から元気が出てきそうです。

2011/03/27(日) 広瀬川




天気の良い日曜日の朝を迎えました。久しぶりに気分転換を図りたいと思い、外に出ると朝日が公園の木々の影を長く伸ばし、今日一日のくつろぎを約束してくれているようでうす。

11時には、3週間遅れの散髪の予約が入っているので、それまで、みじかな早春を見つけて来よう。思えば、今年初めての日曜日の散歩でした。

自宅から10分ほどでよく来る広瀬川の河原に着いたら、様子が変です。川の中ほどにある大きな中洲の木々が根こそぎ伐採され、土も間もなく水没してしましそうです。まったく信じられないような光景ですが、そういえば昨年の秋ころ建設機械が川の堤防の下に待機していたことを思い出しました。

この中洲に生い茂っていた植物や生息していた鳥類は、きっと私だけでなくおおぜいの人たちの憩いの環境であったはず。こんなにも情け容赦なく自然が切り捨てられるのはあまりにも市民感情を無視する行為です。

2011/03/26(土) 相談:借家契約を終了できますか
今日の相談は、借家の所有者(貸主)からの相談で、その人の借家が応急危険度判定を受けた結果、「危険」(赤紙)のステッカーを張られてしまったとのこと。さっそく建設会社に見てもらったところ、修繕は出来るが1000万円ほどの費用がかかるといわれ、相談者は、築30年の建物にそんな高額の修繕費をかけて貸し続ける意思はないとのこと。

今回の地震は、仙台市中心部は震度6弱ですから、その地震が原因による建物損壊によりその建物を貸せなくなった時は、一般的に賃貸借契約が終了すると考えられます。

しかし、実際の問題では、当事者双方の言い分が対立するのが普通でしょう。
そして、本当に建物の損害が修理不能の損害と評価できるのか、貸主が建物の建て替えを考えてはいないのか、貸主は立退料などの和解金を支払う用意があるのか等々についての話し合い必要と思われます。

2011/03/25(金) 震災相談の勉強会
大地震からちょうど2週間目の今日午後5時から司法書士会館で、災害時相談会の勉強会が開かれ、約80名近い参加者がありました。
被災された方の生活環境は様々でしょうが、全体的に落ち着きを取り戻したころから、今回の災害に係る相談が各機関や専門家の事務所に持ち込まれると思います。
そのとき、的確なアドバイスができるように司法書士会で編纂したQ&Aの資料などをもとに勉強会を行いました。
すべての疑問に、ただちに具体的対処法を教えることができるわけではありませんが、まずは市民の悩み事を聞き、間違いのない指針を示してあげることができるよう活動して行きたいと思います。


2011/03/23(水) ふるさと松島




漸く車を使って仕事ができるようになっり、松島町まで行ってきました。
松島は、海に面しているものの、外洋に直接面していないで内側がふくらんだ形の湾になっているため、津波による浸水は極めて少なかったようです。
(しかし、国道45号線を通って行くと松島海岸駅近辺の物産店などでは、浸水後の後片付けをする人々を見かけました。)

■松島に入る国道からの海の景色は、荒々しい水の恐ろしさや多くの悲嘆を知らないかのように、柔らかな日差しの中でいつものように安らかでした。

2011/03/22(火) 相談:津波の犠牲になった親の相続放棄
両親が離婚して以来、数十年音信不通だった父が津波の犠牲になって収容されたと警察から連絡を受けたので、相続放棄をしたい。・・・

相続放棄は、被相続人について相続が開始したことを知ったときから3カ月以内に家庭裁判所に申立てればよいので、時間は十分にあるから、被相続人の除籍謄本、戸籍の附票、相談者の戸籍謄本などを入手して来てほしいと話しました。

2011/03/20(日) 支援物資販売
親戚からの連絡で、子供が小さいころからお世話になった仙台中央音楽センターの中庭で、秋田県の青果物卸商の方が、大量の青果物を輸送して販売してくれることを知ったので、8:30頃夫婦で行ってみました。
すると中庭の奥の建物1階部分の駐車場に、大量の新鮮で質の良い野菜がたくさん並んでいて、昨日と今日販売して大体売り切れるとのこと。大々的な宣伝はしていないものの通りすがりの人が大勢立ち寄り喜んで買って行くらしい。

私たち夫婦は、そのまま音楽センターやこのビルで仕事をしている人らと一緒に販売スタッフに加わり、9:00〜16:00まで手伝っいました。

半日程度のお手伝いではありましたが、体を動かしていると、千々乱れる不安や悲しい思いから離れられることができました。

2011/03/19(土) 被災地:石巻
漸く消息がつかめた親戚を訪ねて、石巻に行ってきました。
訪れたところは、110cm程の高さまで水が押し寄せ1階部分は浸水した建物が多いところです。
直接大きな波が押し寄せたところではないようですが、様々な漂流物の残骸が散乱していました。
言葉にはできない程の惨状ですが、海岸や川に近い地域での惨状は計り知れないものでしょう。
厳しい状況で黙々と後片付け等をしている親戚に
とりあえずできる限りの支援物を差し入れることができました。


2011/03/18(金) 震災から1週間


仙台は真冬に逆戻りしたかのような雪降りの朝を迎えました。

仙台では震災以来食料品・日用品の買い物が非常に困難になっています。

そんな中頑張っているのは、仙台朝市の生鮮食料品のお店とダイエー仙台店です。朝市は一日も休まず、ダイエーは震災の二日後から大量に物資を提供しています。

当事務所のスタッフも献身的に頑張ってくれています。この寒い朝を長い時間をかけて徒歩で通勤してくる者もいますし、事務所の車が動かないので、マイカーを提供してくれる者もいます。また、その車のガソリンを確保するため今度の休みには、山形まで行って並んで買ってっ来るとか・・・みんなが出来ることをしてくれています。


2011/03/14(月) 地震の影響
今回の大地震では、幸い当事務所周辺では大きな物的・人的被害は発生していませんが、仕事・生活の様々な場面に影響が出ています。

・電話連絡の不通・・・限られた範囲にしか通じません。
・公共交通手段の途絶・・・JRは壊滅的被害を受けた。新幹線などいつになったら普及するのやら。東京が本当に遠くなった。地下鉄も不通。バスの運行が一番活発である。1時間かけて徒歩で通勤してくる所員もいます。
・ガソリン不足・・・ガソリンスタンドの多くが閉店し、かつガソリン不足になるという情報があるので、開いているガソリンスタンドには長蛇の列ができています。
 当事務所の車は、地震前夜ガソリンを満タンにしましたが、立体駐車場が使用禁止となってしまいました。
・食品・日用品不足・・・被災地に物資が届きません。こんな時代に物が届かないとは信じられない!!

というわけで、今週は遠くに出られそうもありません。


2011/03/13(日) 日曜日




昨日地震から一夜明けて仙台に戻り、テレビを見たら、太平洋沿岸の広い地域に津波が押し寄せ、計り知れない大きな犠牲と被害が発生したことを知りました。

それからまた一夜明けた日曜日、大きな被害が出なかった仙台市中心部は、晴天に恵まれた朝を迎えました。私は8:30頃街の様子を見に散歩に出かけましたが、外の様子は、コンビニが閉まっていた以外いつもと変わらず、あまり被災の深刻さは感じませんでした。
しかし、東三番丁を青葉通りに出ると、その角のダイエー前には50mほどの人の列ができており、列に並んだ人に聞くと今日9:30に開店するとのこと。念のために私も食料を買おうと思って並んだところ続々と人が集まり、開店時にはもう列の終わりが見えないほどに伸びていました。

思いもかけず必要な食料の買い物が出来た後、事務所に行ってみるとまだエレベーターは復旧していませんでしたが、電気と水道は普及していました。
このビル自体未だ入室許可が出ていません。ビルのあちこちにひび割れが入り、壁も崩れ落ちているところがあります。明日からの仕事に影響がありそうです。

■近隣ビルの被害

2011/03/12(土) 避難所






新幹線から救出されお世話になった避難所の様子です。16両編成のほぼ満席に近い乗客が収容された三本木の施設。真夜中に到着したときにはパンや飲み物が準備されていました。

部屋の中は冷え込んではおらず割と温かでしたが、みんコートを着たまま体を横たえ一夜を明かしました。

2011/03/12(土) 新幹線から救出






新幹線が止まってからの車中の様子はいたって冷静で平穏でした。騒ぐ人もなし、病気になる人もなし、ときどき子供をあやす若いお母さんの声とわれわれ3人の話し声がするくらいです。
車中には、ときどきアナウンスがあり、今回の地震が大変大きなものであったこと、電車の転覆や津波など甚大な被害が出ていることを冷静に伝えていました。
6、7時間ほど経過したころ、ようやく救助作業が始まりました。その方法は、乗客が列車から梯子で降り、線路伝いにトンネルを歩いて抜け、階段を使って地表に降りるというものでした。そして、そこからはマイクロバスで施設に向かいました。
連れて行かれた施設は、大崎市三本木の子育て支援施設で、幼稚園と保育所が一体となった運営をしているところろです。同じ新幹線に乗っていた人たちだけが収容されたようですが、およそ1000人近い人たちが、午前3時近くまでかかって運ばれてきて、食料の提供とごろ寝ではありますが、体を横にするスペースを与えられました。
普段は、地元の小さな子供たちが活発に活動する場所なのでしょうが、昨夜は縁もゆかりもない疲れ切った大人たちの姿で埋まりました。
それでも献身的に世話をしてくれる方々に甘えきって、一夜を安心して過ごすことができました。感謝、感謝の気持ちで一杯です。

トンネルの中ではメールも電話の受送信ができませんでした。施設に来てからはアンテナが3本立って電話ができるかと思いましたが、国内では電話ができませんでした。しかし、外国の親戚に電話をしたら以外にも連絡が取れて、彼女を経由で家族や事務所の状況を教えてもらいました。

2011/03/12(土) わが事務所 その時






私が、新幹線の中で尋常ではない揺れを感じ気を張り詰めていた時事務所では、私以外の全員が・・・一人も外出していなかったということはめったにないこと・・・これまでに経験したことのない建物内での激しい揺れにとっさの行動をとっていたといいます。
すぐに止みそうにない立っていられないほどの揺れの中では、机の下に入ろうと声をかけるのが精いっぱいで、自分の机の下に潜り込めばいいものを、気がつけば一つの机の下に3人で潜り込んでいた者もいたというから、相当動転していたのでしょう。ただ2人ほど一目散に事務所を飛び出し6階から階段を駆け下りビルの外に出たそうです。

事務所内は、ファイルが散乱し、大きな耐火キャビネットの一つが隣のコピーに寄りかかって、男三人がかりでも立て直せませんでした。

■地震の翌日の事務所内、停電の中ある程度片づけたが、200kgのキャビネットはコピー機を押し出し倒れかかる
■ビルの階段の被害
■人通りの少ない夕方の青葉通

2011/03/12(土) 巨大地震体感


昨日、今回の地震が発生したとき私は税理士の大藤先生、グローイングコンサルタントの勝村社長さんと一緒に新幹線の中にいました。仙台発午後2時38分発の「はやて」で盛岡の会社のコンサルティングにうかがう予定だったのですが、仙台駅を発車して10分ほど経過した頃、それまでとは違う振動が座席から伝わり、ほどなく誰でもがわかるような上下左右の激しい揺れ・・・ジェットコースターで急スピードでカーブする時のような・・・に襲われました。そのピークの揺れを感じるとすぐに列車は、体が前のめりにならない程度に速度を急激に減速しましたが、私には停止するまでの時間が結構長く感じられました。

電車が停車した場所は、宮城県大崎市三本木の山間部で断続的に続くトンネルの一つでした。それから約8時間新幹線の中で救出を待つことになりました。

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